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はみ肉

むねにくブログ用

マイブーム永井均(はしりがき170204)

※170206 ver1.1(改題及び追記)
ホワッツ哲学者的問題に対する所感・語尾がニャンコで砂塵地帯編


途中からにゃんにゃんほざき出すのは照れ隠しが6割、予想され得る初歩的なツッコミからおよそ推測しうる恥成分の前借りが4割、くらい


たとえば社会学者とか、宗教家とか、(石橋を叩いて補足:社会学者≠宗教家)生身の人間を相手にする仕事だと考慮されなければならないいくつかの前提は哲学においてすっとばすことが可能だし、認知バイアスその他の干渉が出力を歪ませる問題と格闘するのではなくひたすら論理的に考えていくとどのような定理が導きうるかを考えることを仕事/生業にするという選択ができるのが哲学者なので、側から見れば傲慢にうつるのは致し方なけれど、人間であることを棚上げにすればより論理的思考に忠実になれるのならそうすることを厭わないのが哲学者だからそこはわかってほしいにゃん。人間・永井均と哲学者・永井均とは違うんだにゃん*1)*2)。
直近のわかりやすい例をあげればでんでん現象を可視化できることを発見してあれだけ政治的思惑とは無関係に大はしゃぎできるのは永井さんが哲学者だからなのにゃん。人間ならば自身の政治的ポリシー/嗜好などにひっぱられて永井さんにリプ飛ばしてたおっちゃんみたいになってしまうところを純粋に発見というか可視化がもたらしたタウマゼインに満ち満ちていられるのは、該当ツイートを記していたときの永井さんが極めて忠実に哲学者として振舞うことができる故に可能なんだにゃん。
尤も哲学者というモードは特殊すぎて(注:ここでの特殊は単に習得にものすごく時間を要求するため習得した者の絶対数が極めて少ないモード/技能についてのみいう。「音ゲーの最難関譜面ノーミスクリアできるとか特殊すぎる」と一緒の用法)大体の人には理解されないので、でんでん現象の発見というか可視化をRTした人らの多くはリプのおっちゃん同様の根本的な勘違いをしたあげくそのことに気づかず自身の信仰の正当化に援用しやがっただろうことは間違いないと思うにゃん。その苦さゴーヤレベル。

※170206追記
*1)念のため:永井さんが哲学者・永井均と人間・永井均という多重人格(互いに独立した複数の人格)を持っている、わけでは勿論なくて、鍛錬によって人間である故に陥りがちなタイプの思考の流れを意図的に遮断することができるという意味で書いてます。中学高校の理科でやる電気回路の途中にスイッチあるタイプのやつを思い浮かべていただけるとニュアンスがわかりやすいかも。だから永井さんは人間(ヒトの脳みそを中央処理装置として採用してるいきもの)として振る舞うことは当然可能だし、また人間モードを採用することでファジィれる恩恵にも何度となくあやかっていることもまた全くもって想像に難くないのだが、かれは長年の思索の結果自らの意思でもって人間抑えきって論理の徒であることを可能にしたという意味で書いたことを、というお話をば。油ギットギトの天丼で恐縮ですがまかないだと思うたってください。
*2)先日永井さんがツイートで述べられた論(など)に対して慈永さんが好きになれんという雰囲気のことをツイッターで書かれており、慈永さんが『宗教問題』などの他の媒体で書かれた文章は読んでて頷くとこ多いほうだったのでDDなぼくにはそれなりの衝撃があり、しばしば一緒くたにされがちな哲学者と宗教家との間には根本的な差異があって、それって、この、人間優先するか論理優先にするかって辺りにヒントあんのかなー、とふと思ったのを契機にあいぽんの画面上で人差し指がランバダ踊る羽目になった結果、追記がテンヤでスープカレー頼んで出てくるまでの時間ばりに長くなってしまった。いつかは絶対ルーカレー。






(ところでルーカレーといえば『ブルックスカレー食堂』は結構おいしいので札幌来ることあれば是非。カレーだけなら1〜1.5k/人くらいで落ち着いた雰囲気の中絶妙な火加減のお野菜とルーのベースに採用されてる自己主張のきつくない特別な品種のたまねぎの良さがスーパーロイヤルマッチンマッチンなので、事前情報ゼロの中札幌来たからとりあえずでスープカレーギャンブルするよりは余程有意義にお腹を満たせると思う)