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はみ肉

むねにくブログ用

闘いを定義せよ

プロレス
例によって全日本プロレスの話です。理由は書く人が少なくてさみしいから。

8.16神戸大会の試合後コメント内で諏訪魔選手により提案された「派閥闘争」ですが、

バーニングが秋山派を表明、曙・大森・宮原・鼓太郎各選手が「派閥闘争」自体への嫌悪感を表明、とまあまあ予想可能な展開を見せ、

諏訪魔選手の方も「アレルギー反応」は予想できていたようではあるものの苛立ちを隠せず、24日(※8/26 日付を訂正)には「今の全日本のままでいいなら/黙って真面目に試合だけしてろ!!」という文を含む投稿が本人のTwitterに上がりました。


そこで考えてしまうわけです。「派閥闘争」「考え方もまるきり違う」、そういった言葉のひとつひとつに対して、VMという一つの例外を除いてやっと言ってくれたと歓喜したEvo軍派は考えてしまうわけです。(対立派閥を支持する側の方にはご理解いただけなかったかもしれませんが、決してファン不在の発言などではないのです。現状サンプル数に乏しいですが)

現体制が「アレルギー反応」を起こす側の人間を重用していること、「アレルギー反応」を起こす側が現体制への具体的な不満や提言を行っていないことの2点からでも、勿論その他の理由でも、派閥(=特定のイデオロギーを共有する集団)の存在は明らかなのに、

なぜかれらは「派閥闘争」(≒イデオロギー闘争)を拒否するのだろうと。プロレスにおいてイデオロギー闘争よりも優先されるべき種類の闘争があるのだろうかと。プロレスが闘いである以上、特定のイデオロギーを共有する集団を単位とした闘争である「派閥闘争」はより本質に即したものであり、それがー正確には闘争が「派閥闘争」という単語をもって表されることが拒絶されなければならない理由は何だろうかと。

そしてぼくにはどうもわからない。秋山派も「アレルギー反応」も決して珍しくないことは理解できたけど、かれらがプロレスをどのように捉えているのか、闘い・闘争をどのように捉えているのか、

換言すれば、秋山派および「アレルギー反応」の基底となる考え方、それらが結構思いつかない。

何を所与としているのか、
どんな理論に基づいているのか、
結構わからないところがある。

例えば「派閥闘争」自体への嫌悪感を表明した「アレルギー反応」組はおそらく自身がイデオロギーを持っていることへの自覚がないか薄い、あるいはそれが表に出ることを嫌っているのでは、と思うのだけど、

その次には、じゃあかれらにとって闘いって何なんだろう、闘いの背景には何らかのコンフリクトが存在して、それが双方のイデオロギーの差異に基づいたものである可能性は高いと思うのだけど、そうじゃないってことなんだろうか、という問いが浮上してきて、そこでわからなくなる。

Evo軍とそれ以外の選手では何かが違うのだろうし、双方の断絶の深刻さから、それは思考のコアの部分であるのだと思う。そしてファンもその内実はともかく深刻な断絶を感じとっているのだと思う。もっともその深刻な断絶は以前からぼんやりとしたかたちで選手・関係者やファンの傍についてまわっていたものなのだけれど。

そんな現状を踏まえて、今後は各派および各人の差異が、ゆくゆくは何らかの妥協点が一時的にでも(というか、一時的なもの以外にならないはずだけど)見出されるべきだし、そのためには「派閥闘争」すべきだと思うんだけど……てな感じでループがね、避けられなくてね、どう落ちをつけたものかって感じなんだわ。