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はみ肉

むねにくブログ用

二次観察のタワー

プロレス

一時観察の外側に二次観察があって、それより外側には延々と二次観察が積み重なっていく。この二次観察が積み重なるフェイズに相当するのがメタゲームで、この言葉がもっとコモディティ化してしまえばいいのにな、と思った。

とにかく主張を伝えることができない。

パターンとしては、言葉がそもそも見つからない場合と、不足なく表現はできるものの単語や接続のために論点の不一致やその他読み手との間に齟齬を起こす場合との二種類が主に存在する。

このことを解消するには言葉を積み重ねていかなければいけないのだろうか、と少し前までなら考えていたのだけれど、長文は読まれづらいこと、それから同一の言語で表されるものに対して読み手と書き手との間でその意味や属性について相違があることからそのベクトルの努力だけでどうにかなるものでもないらしいという考えに変わってきた。

たとえば「資本主義」という言葉が何を示すか、については情報量の面でも質の面でも人によってそりゃもうびっくりするくらいの差がある。これは文章に使用される各単語について同様なので、長文はそういう種類のリスクを構造的に抱える。

構造的に。

ああもうすぐ天龍さん引退しちゃうんだよな、そして諏訪魔さんとかみのるさんとかそういう人に限って呼ばれてることの意味を考えるためのある種のマインドセットがそもそも存在してない人が多いのかな、とかそういうことをツイッター眺めつつ思ってて、これはその連関。

それは間違いなく世界から失われつつあるし、そのことは同時にそれを提供する素地の喪失を意味しているし、戦後という時世にあってつい最近までそうでなかったことがプロレスの独自性のひとつだっていうのに、ミルトン・フリードマンはあまりにも罪深い。

9/17

プロレス

いきなり長文を書こうとしても纏まらないし、それで結局やけっぱちでも表に出してみようという気すら起こらなかったものに5時間かけたりしたので(内容はVMと全日の関係を推測するもので、羽村に出るのはプロデューサーが団体じゃないからだし今後の参戦はないだろうというもの)書けるものから書こうって思いました。



Evo軍の武装化の話。


パフォーマンスって情報の受信者視点のほかに発信者視点があって、どういうパフォーマンスをやるかということは発信者の個性の反映でもある。


例えばシナンジュを彷彿とさせるオーバーマスクはダメ、とか猫耳+メイド服+サブマシンガンはOK、とか、個々人によって許容ラインには違いが存在する。


そんな中で3人が3人(+1人いて事後承諾的に)OKを出したものであるって点で武装化にはちゃんとユニット活動としての意味があるのであって、外面だけ見てオモチャだのコント集団だのと切り捨てるのは考えが浅いんじゃないか、と思う。


同時にEvo軍は個人間の差異を充分認識しているってことも導けるし、大阪大会での秋山社長のコメントはかれがその点を把握できていないことを示している。


ぼくはそもそも「閉塞感」ないし「派閥闘争」に対してバーニング勢が論点を(把握したうえで意図的に)ずらしている様子がコメントから見受けられることや単に論理的整合性を持たない部分が見受けられることが非常に気になっていて、その傾向を各大会のコメントと照合しながら纏めようとしてできずにいる。それがすっごく悔しい。

最近の思考の経過

プロレス

書いたけどまとまらなかったり、ツイッタに書いたりしていたので、ご無沙汰しておりました。

今日も今日とて全日の「派閥闘争」の話から始まるのですが、ぼくにとって意外だったのが「派閥闘争」的な図式は以前から、さかのぼれば現体制の発足時から、全日マットにその言葉を用いない形で現れていたものだという認識が共通のものではなかったことで、

言い換えれば「派閥闘争」を拒否する態度が同時に非主流派の主流派への従属を要請することである、という認識がどうもあまり一般的ではないようだぞむむむ、となり、

闘争を拒否する態度が即ちコミュニケーションを拒否する態度であり、それは互いの嗜好や思想、理論の精査や更改を拒否し停滞させ「閉塞感」を生じさせるものなのではないか、と思っている立場の人間としてはひじょうに歯痒い思いをしていました。

で、「派閥闘争」がダメで「世代闘争」がOKというのがどっちも思想や思想とまでは呼べない考えの違いに端を発するものである以上ちょっとよくわからなかったりもするし、そういう疑問が出てくるとおもな関心は闘争一般、あらゆる闘争の共通点の方に移っていくわけです。

闘争一般の性質を明らかにすることでプロレスという概念がその内に含むものについていくらか進んだ考え方のパッケージに到達できるんじゃなかろか、とか夢がどんどん広がっていくし、本を読むのも文を書くのもペースは遅いしアウトプットは未熟だししょっちゅうつっかえてまたつっかえてを延々とやってるけど、いつかはでっかいバッファロー、な気持ちでやろう、と思うとほんのわずかに口角があがる。そびえる壁の高さにめまいはおきるし冷や汗もかくし足もすくむ、けど。

(9/7 題を変更。理由は割と血迷ってるのに軌跡というのも似合わないとおもったから)

闘いを定義せよ

プロレス
例によって全日本プロレスの話です。理由は書く人が少なくてさみしいから。

8.16神戸大会の試合後コメント内で諏訪魔選手により提案された「派閥闘争」ですが、

バーニングが秋山派を表明、曙・大森・宮原・鼓太郎各選手が「派閥闘争」自体への嫌悪感を表明、とまあまあ予想可能な展開を見せ、

諏訪魔選手の方も「アレルギー反応」は予想できていたようではあるものの苛立ちを隠せず、24日(※8/26 日付を訂正)には「今の全日本のままでいいなら/黙って真面目に試合だけしてろ!!」という文を含む投稿が本人のTwitterに上がりました。


そこで考えてしまうわけです。「派閥闘争」「考え方もまるきり違う」、そういった言葉のひとつひとつに対して、VMという一つの例外を除いてやっと言ってくれたと歓喜したEvo軍派は考えてしまうわけです。(対立派閥を支持する側の方にはご理解いただけなかったかもしれませんが、決してファン不在の発言などではないのです。現状サンプル数に乏しいですが)

現体制が「アレルギー反応」を起こす側の人間を重用していること、「アレルギー反応」を起こす側が現体制への具体的な不満や提言を行っていないことの2点からでも、勿論その他の理由でも、派閥(=特定のイデオロギーを共有する集団)の存在は明らかなのに、

なぜかれらは「派閥闘争」(≒イデオロギー闘争)を拒否するのだろうと。プロレスにおいてイデオロギー闘争よりも優先されるべき種類の闘争があるのだろうかと。プロレスが闘いである以上、特定のイデオロギーを共有する集団を単位とした闘争である「派閥闘争」はより本質に即したものであり、それがー正確には闘争が「派閥闘争」という単語をもって表されることが拒絶されなければならない理由は何だろうかと。

そしてぼくにはどうもわからない。秋山派も「アレルギー反応」も決して珍しくないことは理解できたけど、かれらがプロレスをどのように捉えているのか、闘い・闘争をどのように捉えているのか、

換言すれば、秋山派および「アレルギー反応」の基底となる考え方、それらが結構思いつかない。

何を所与としているのか、
どんな理論に基づいているのか、
結構わからないところがある。

例えば「派閥闘争」自体への嫌悪感を表明した「アレルギー反応」組はおそらく自身がイデオロギーを持っていることへの自覚がないか薄い、あるいはそれが表に出ることを嫌っているのでは、と思うのだけど、

その次には、じゃあかれらにとって闘いって何なんだろう、闘いの背景には何らかのコンフリクトが存在して、それが双方のイデオロギーの差異に基づいたものである可能性は高いと思うのだけど、そうじゃないってことなんだろうか、という問いが浮上してきて、そこでわからなくなる。

Evo軍とそれ以外の選手では何かが違うのだろうし、双方の断絶の深刻さから、それは思考のコアの部分であるのだと思う。そしてファンもその内実はともかく深刻な断絶を感じとっているのだと思う。もっともその深刻な断絶は以前からぼんやりとしたかたちで選手・関係者やファンの傍についてまわっていたものなのだけれど。

そんな現状を踏まえて、今後は各派および各人の差異が、ゆくゆくは何らかの妥協点が一時的にでも(というか、一時的なもの以外にならないはずだけど)見出されるべきだし、そのためには「派閥闘争」すべきだと思うんだけど……てな感じでループがね、避けられなくてね、どう落ちをつけたものかって感じなんだわ。






ハァ〜 バッツバッツ

プロレス
(FFは4と10しかやってない)
全日本プロレスにおいて諏訪魔選手が提案した派閥闘争およびそれに伴ってかれが主張した諸々の件に関するぼくの考えをツイートしようとしたら長くなっちゃったのでこっちにはみ出させました。あんま纏まりがないけど……。



派閥闘争の件、論理が破綻している秋山社長と主張の論拠を伴わない金丸選手をのぞけばそういう考え方もあるよねって部分はあると思ってる。

ただたとえば、
コメントが先行しているのはその通りだけどでもこうして各人リアクションくれて流れが生まれるんだから黙っているよりずっとマシだと思う、
とか、

「派閥も世代も集団において自然に生起するのに、派閥闘争がオールドファッションで、かつ、世代闘争がそうでない」は正ではない、
とか、

そもそも諏訪魔選手が発言する要因となった閉塞感について触れてない、
とか、

全部が全部正論ではないし、正論同士でも反目し合うことは珍しくないわけで、その上でどの考えを採用すべきか、各人どこまで譲歩できるか、集団の構成員(=諏訪魔選手)が問題提起した以上はそれを探っていく必要はあるでしょう、というのと、

さらに言えば、諏訪魔選手が発言しなければ得られなかった情報がたくさんあって、それは集団にとって価値のあるものだよね、というのは思ってて、

だから、
今回発言をしたこと、
それと、その内容、
その2点において諏訪魔選手を支持しますというのが特別でもなんでもないただの団体とEvo軍の一ファンであるぼくがこの件について考えたこと(の一部)です。

つくった

ついったは長い文章を書くのに向かないので、長々と書きたいことができたときのためにつくりました。